こんにちは。ゆるセミ(@yuru_semi)です。
セミリタイアを目指している方は日々倹約していることと思います。
僕も日々倹約にいそしんでいますが、時たまお酒を飲んだり、1人カラオケに行ったりして、無駄に浪費してしまいます。
なかなか修行僧のように自分を厳しく律するのは難しいものですね。
そう考えると頭にふとした疑問が思い浮かびました。
「セミリタイアを目指していると世捨て人になるのではないか?」
「社会と交流を持つ機会が減ってしまうのではないか?」
その疑問の答えを求めて、手に取った本が『世捨て人のすすめ』(ひろさちや著)でした。
今回は、この『世捨て人のすすめ』を書評をしていこうと思います。
セミリタイアに通ずる世捨て
セミリタイアをする場合ですが、世間一般的に言われている生活をしていると達成するのが大変だと思います。
車に乗ったり、マイホームを建てたりですね。
他にも、ブランド物のバッグや洋服を買ったり。
これではお金は貯まりませんね。
そういった行為のいくつかは世間の常識というものに縛られていると感じます。
そして、この『世捨て人のすすめ』に書いてある〝世捨て″とは、「世間の物差しから脱出すること」だそうです。
これって、セミリタイアに通ずるものがありますよね?
セミリタイアを実際にされている方のブログ等を読んでみても、世間一般の常識とは違う部分がいくつかあります。
それは、考え方の面や生活の面などでうかがえます。
そういった面からも、常識に縛られていないことがわかりますね。
つまり、この『世捨て人のすすめ』に書いてあるとおりだと、セミリタイアは世間の物差しから脱出するため「セミリタイア=世捨て」と言うことができそうです。
『世捨て人のすすめ』は仏教の教えをわかりやすくした本
この本は、仏教の教えをわかりやすく伝えている本になります。
仏教なんてと思う方もいるかもしれませんが、その教えは最近話題のミニマリズムに通ずるものがあったりとなかなか馬鹿にできません。
例えば、仏教の教えの一つに「少欲足知」というものがあるそうです。
これは「欲望をちょっと少なくし、分相応の満足をすることによって幸せになれますよ」という教えです。
借金してまで車や家を買ったり、無理をしてブランド物で着るものを固めたり。
そういった欲望に身を任せるのではなく、自分の年収の範囲内で無理なく満足しましょうって意味かなと個人的には思います。
このような教えがたくさん書いてありました。
また、基本的に仏教の教えを書いてあるのですが、それだけに限らず様々な考え方なども載っています。
セミリタイアを目指している僕がすごく納得できる部分があったので、下記に引用します。
イタリア人に、
「お忙しいようですね」
と言えば、彼らは、
「ええ、不幸にして」
と答えるそうです。
なぜなら、忙しいのは生活費を稼ぐために忙しいのであって、それは不幸なことです。
幸福なのは、自分のために使える時間をたっぷり持っていることであって、あくせく働かないでいられる人がいちばん幸せな人です。
引用:『世捨て人のすすめ』(ひろさちや著)より
どうですか?
セミリタイアを目指すのは、まさしく上記の引用のような状況に陥っているからですよね?
「ゲームを1日中していたい」
「いろいろなところに旅行したい」
「平日にゆっくりと寝ていたい」
どれも僕がセミリタイアをしてからやりたいことですが、総括すると自分の時間をたっぷりと持ちたいということですもんね。
セミリタイア=世捨てと言えるのでは?
この『世捨て人のすすめ』では、読んでいくと「セミリタイア=世捨て」ということが言えるのではないかと思っています。
それは、セミリタイアが世間一般の常識からは外れていると僕は考えるからです。
そのセミリタイアを目指す上でもこの本は時々読み返したい本です。
それはなぜか?
この本を、「人生の羅針盤的な一冊」だと思っているからです。
セミリタイアを目指す上でいろいろなことがありますが、その状況で様々な判断を下さねばなりません。
その判断の指針となるのがこの本だと考えています。
仏教の教えですからね。
大半の事はカバーしてあるはずです。
著者のひろさちやさんもまえがきにこのように書いています。
仏教は、決して教条主義の教えではありません。
それぞれの人が、それぞれに自分の生き方を見つける。
それが大事なことなんです。
引用:『世捨て人のすすめ』(ひろさちや著)より
-注釈-
教条主義
状況や現実を無視して、ある特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度。
セミリタイアを目指す人もそうでない人も、困ったときの参考にするものの一部として、仏教を取り入れてみるのはいかがですか?
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